絶望ノート (1/22)

  1. 観術は,そもそも自分で悟りビジネスやってます,そのビジネスであたなも成功,私も成功,日本も成功,WIN,WINの関係を目指しましょう,と言っている,170万円とることは別にサギでもさんでもなくてそれだけ価値があると思っているからビジネスとして徴収しとるんだねー
  2. 幸せをもとめるために,者,人間関係,状況のなかで探してきた,非二元論を学ぶとずっと求め続けてきたものが何かの物,恋愛,人間関係にあるわけじゃないとわかる,そして,幸せ,愛,安らぎをそれらの物に費やすことをやめる←こうなると唯物的な生き方をしていた人間は自分の職業,勉学すらにも価値を見いだせなくなりかえってまずいのではないか,車をもった自分がかっこいい,それでもてて幸せになれるとおもって,車をもつのがずっと夢だったけど,悟ったら車にこだわらなくなった,みたいな・・・,あかーん
  3. 非二元論がわかると自分のハートとマインドを価値があるものに向けるようになる,いままでものに価値があると思って生きてきてそれを手に入れるために頑張ってきたおれはどうすればいいんだーーーー
  4. すべてはオリジナルマインドでできている,ということがいかにすごいかがわかるおんはすべては金でできていいたというとわかりやすいかも,身の回りにあるものを分解していったら全部金からできていた,やばい,うひょーー,実際は金よりもオリジナルマインドであるI amのほうがずっとすばらしいものだった,本当のわたしはとてつもなく貴重な物
  5. パンクしたってどうにかなると思えばどうにかなる,どうにもならないと悲観してたらどうにもならない,取引先との商談が破断になっても大丈夫とおもっていたら,パンクして商談が破談になっても大丈夫,だめだと思ったらだめになる,破談になったらダメだと決めたのは本人だから,本人の価値観をかえたら人生万事解決
  6. 起業して借金抱えても大丈夫だと思ったらダイジョブ,だめだと思ったらだめ,借金しちゃだめだときめたのは本人だから,海外にいったらフリータでも元気にやっているやつがいる,それは本人がフリーターはだめだと思っていないから,外国の方が人生の振れ幅が広いきがする,確かめよう
  7. なんで日本の自殺数が多いのか,それはよいとされる価値観がすっごい狭い範囲で,悪いとされる価値観がものすごい幅広くてなおかつ強固だから,本人が就職で失敗したらだめだと思ってるからだめだけど,就職しくってもだめじゃないという視点をもっていると大丈夫になる
  8. 知識がないのに趣味と公言するのはだめだと思っているとだめ,知識がないとだめだときめたのは本人だから
  9. あらすじを人に説明できて自分の感想を相手に伝えられないとだめだと思っているとだめ,相手に伝えられないと決めたのは本人だから
  10. 給料もらってないけど与えられた仕事はしっかりやらないとだめだと思ってるとやれなくなると自分はだめなやつになる,仕事はしっかりやらないとだめだと思っているのは自分だから
  11. 自分の宇宙は自己解釈の投影である,
  12. 自分が悲しいとき,それは自分が自分の解釈に悲しんでいる,自分がどこか満足できないとき,それは自分が自分の解釈に満足できていない,解釈をすてる(刷り込まれた常識,思い込み,洗脳)とき苦しみを終わらせることも,和らげることもできる
  13. 人に頼み事をするのがだめだとおもっていると,ひとに頼っている自分はだめになる,人に頼っちゃいけないと決めたのは本人だから
  14. 男は性欲を開放したらダメだ,と思っていると性欲を開放したらだめになる,性欲を開放したらだめときめたのは自分だから
  15. 足が短いとだめだとおもっているとだめになる
  16. 顔が非対称だとだめだとおもっているとだめになる
  17. 世間知らずがだめだとおもっているとダメになる
  18. 趣味がないとだめだと思っているとダメになる
  19. 友達の話題についていけないとだめだ思っているとだめになる
  20. 遊んじゃだめだと思っているとだめになる
  21. 旅行しちゃだめだと思っているとだめになる
  22. だめな自分を割り切れ,潔くなにがだめなんだと開き直れ!
  23. 研究は周りみたいにしっかりやらないとだめだと思っているとだめになる
  24. カンニングとか道徳にひっかかるものはどう解釈したらいい?
  25. ホモじゃだめだと思っていると,ホモな自分はだめになる
  26. だめだとおもっているのに,自分がだめなことをしていると言動がぎこちなくなりはたから見るとこいつここがだめだと思っているんだな,ここが弱みなんだなと思われる
  27. こんな自分はかっこつけたらだめ,と思っているとだめになる,かっこつけたらだめ女ったらしになったらだめと決めたのは本人だから
  28. おれらは純粋にものを見ているのではない,過去の経験や学習した知識のパターンを参照して,これはスマホだと決定している(マインドをゼロ化したらただの板),つまり見ることは考える事,暗記言語で勝手に分離してそのOMをスマホと呼ぶとき見ているものは経験や知識であり,つまるところ,ただの思考である,これはインディアンだと私きーめた,そこにインディアンがあるんではなくて私(思考)が勝手にインディアンと決めている,これがインディアンだという錯覚がおきている,おれらは一度学習してしまうと何も知らない目でみることがとたんに難しくなってしまう,意味のないマーブル模様をみることができなくなりインディアンにしかみえなくなる,脳の癖でリセットされた自分の宇宙に勝手に思考が名前をつけてしまうけど,OMの本当の私がリセットされた世界をみるのは最初に白黒マーブル模様を見るのと一緒,そこに区別はないし,名前もとくに与えられていない,人間は洗脳という学習を重ねることでものの名前を,私というものを学習していく,マーブル模様を勝手に区切っていく,本当は全く意味のないモノクロのマーブル模様と呼ぶこともできるのに,ここからが首でここが花でというふうに区切ってしまう,そして私とか個体とかいう錯覚ができあがる,インディアンがみえてしまったらもうインディアンにしかみえない,インディアンに見えない世界を見られなくて苦しんだり,頑張ったりしなくていいよ,赤ちゃんの頃おかあさんとミルクをみないと頑張るでしょうか,これってなんだろう,そこになにがあるんだろう,ほかの使い方もあるかもしれない,そんな新たな可能性にワクワクしながら純粋に自分の世界をみてみる
  29. 日本の常識をぶっこわせ,自分の価値観をぶっこわせ
  30. おれらの目はカメラと同じしくみ,写真に奥行きがないように視覚からはいった情報も奥行きはない,入ってきた光が瞳というレンズを通して光が屈折し網膜というスクリーンに風景を映し出す,資格情報は平面の写真,自分から離れれば離れるほど幅小さくなるというのを経験から知っているから正確にものの大小を比較することができない,遠くにあるものと近くにあるものが同じサイズだとしたら実際にはとても大きいはずだということを経験的に知識で知っている,思考がそう考える,おれらの視覚はあてにできない,真実の世界をみているのでなく自分が納得できる(思考の範疇の)世界をみている,みているものは思考である,この目がとらえる宇宙はあくまで平面,今見えている世界から距離という概念をはずしたら,距離がなくなり奥行きがなくなり時間がなくなる,奥行きがないから見えている世界と自分の間に距離がなくなる,世界と自分は分離していない,ひとつのオリジナルマインド,視覚から得られる宇宙が一色だけだったら境界線をひくことはできなくなる,どの部分が優秀でどの部分がだめなのかなんて決められない,それが本当の世界,視覚,触覚などの感覚,思考がひもつけられて一人に人間という錯覚を与えてくれる,一人の人間という錯覚を与えてくれるもの,もしそれらを一つ一つ外したら世界はどうなるのか,座った感覚もなくて触った感覚もなくて音もなくて色もなくて世界になにが残るか,最後に残るのが真実の私でありあなた,
  31. 真実は音も色も思考も感覚もすべて観念であり本当のわたしたちの中で現れる表現にすぎない,その音,色,怒り,喜び,すべて本当の私達の部分,目を閉じて色のない世界を想像してみましょう。色のない世界をじっくり感じましょう。そして目を開けて、自分の色の美しさを改めて感じてください。世界が分かれている奇跡を改めて感じてください。世界に色が無いと分かったら、人と比較して落ち込むなんてどれほど意味が無いかわかるでしょう。世界に色が無いと分かったら、自分の色がどれほど美しいか分かるでしょう。今すぐ人と比較することをやめて、自分の色を純粋に表現するだけですよね。1つ1つの色は完璧で、何1つ間違いなんてないんですから。
  32. 相手にされたくないことは,自分から相手にしない,これは一つのパターン
  33. 相手に気に入られようとしても相手の思考は操作できない,相手がどう思うか,どうかんじるかは相手の課題,個人の私たちは他人の好みに対してなにもできない,好みをきめるのは本人だから,私たちはそもそも相手の決断に対してなにもできない,じゃあ諦めるしかない,何もコントロールできないのだから,ただ自分らしくあるだけ,相手は私を嫌ってもいい,私は相手を嫌ってもいい
  34. 嫌われるかもしれないと思ったときそれは自分のどんな部分が嫌われるとおもいこんでいるのか,他人に冷たい,他人に関心がない,話がつまらない,これは自分がこうだと嫌われると思っているから相手に嫌われる,こうだと嫌われるときめたのは本人だから,嫌われることが平気になるのは自分が認めていない,条件付けの幸せ,自分の課題,嫌いな部分を自分が認めるから,自分が愛をもって承認,受容すれば他人に何を言われようと,関係ない.自分がだめだと思っているところ,嫌われると恐れているところは,身の回りと比べて勝手に自分がだめだと思い込んだことで環境が変わればまた全然違う,つまりそれは思い込み,自分が認められていないところは他人からの評価が心配になる,個人の私たちは、他人の感情や好みに対して、最初から何もできません。だから相手の気持ちをコントロールすることをやめます。そして、相手の気持ちより、自分の観念や感情に注目します。そして、自分を認めてください。嫌いは人も,気持ちが共有で着ない人もまるで途切れようがなく違いなんてない,自分が何もない空間でどこの部分が好きで,どこかの部分が嫌いと勝手に識別しているだけで,だから,絶対値のなかで嫌われるという体験は奇跡です
  35. 相手をきらってはだめだと思っていると,相手をきらたときに自分はだめになる,相手に嫌われたときに自分はだめになる,相手を嫌ったらダメになると決めたのは本人だから
  36. その全てが透明で自由で意味がない世界、それがわかったら今度はその生命の源、本質が何かを表現すべく、姿形を変えて現れているこの現象世界に目を向けると、ここで現れている全てのもの一つ一つがちゃんと生命の源、本質、仏様であることがわかる
  37. 起こること一つ一つ、自分がすること一つ一つ、それらは生(せい)の本質がそのまま現れたものであるため、「全く意味がない空虚な幻想」なのではなく、活き活きとした生きているもの、「生命そのもの」であるということだ
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